☆評価☆ | 名前/タイトル | 歌/曲 | 年代 |
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ | ささきいさお、こおろぎ'73 | はばたけ飛雄馬このときに | 1977年 |
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ | ささきいさお、こおろぎ'73 | よみがえれ飛雄馬 | 1977年 |
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ | ささきいさお、こおろぎ'73 | 友情 | 1977年 |
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ | ささきいさお | 姉さんありがとう | 1977年 |
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ | ささきいさお | 想い出よ今は… | 1977年 |
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ | ささきいさお、こおろぎ'73 | 行け行け飛雄馬 | 1977年 |
ささきいさお |
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『BS永遠の音楽大全集|BS永遠の音楽 アニメ主題歌大全集』(NHK-BS)より。 をメンバーとする場合もある。。 == 来歴 == 暁星小学校、武蔵高等学校中学校卒業。 高校時代より歌手として活動。1960年、日本コロムビアより「本命はお前だ」(エルヴィス・プレスリーの日本語カバー曲)でロカビリー歌手としてデビュー。ささきの雰囲気がプレスリーに似ていたことから「和製プレスリー」のキャッチフレーズで売り出していた。 歌手業と並行して俳優活動もはじめ、1960年には大島渚の監督映画『太陽の墓場』の主役に抜擢され、松竹の専属俳優として日本ヌーヴェルヴァーグ#松竹ヌーヴェルヴァーグ|松竹ヌーヴェルヴァーグの映画に数多く出演。1962年に『この先カーブあり』でテレビドラマ初出演。 1964年、日本クラウン|クラウンレコードに移籍。ヌーヴェルヴァーグ路線が終わり、ロカビリーブームも去ると、俳優活動・歌手活動ともに不遇の時代を迎える。この不遇の時期に島田敬穂(島田歌穂の父)から指導を受け歌唱・発声を基礎から学び直す。また、俳優としても1967年から約10年間、金子信雄主宰の演劇人クラブ「マールイ」に参加し演劇の基礎を学ぶ。 1968年、エルヴィス・プレスリーの主演映画『燃える平原児』において、プレスリーの日本語吹き替えを担当。これ以降、声優としての活動も行うようになる。『マイティ・マウス (アニメ)|マイティ・マウス』にてマイティ・マウス役を担当、アニメーション作品初出演。 1969年、テレビドラマ『妖術武芸帳』で主演。1972年、声優としてテレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』にてコンドルのジョー役を担当、国内アニメーション作品初出演。 1973年、テレビアニメ『新造人間キャシャーン』の主題歌歌手に抜擢。ささきいさおの芸名でアニメソング歌手として歌手活動を再開。以降、数々のアニメ・特撮作品の主題歌を担当することとなる。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999』の主題歌が一世を風靡し、ミリオンセラーを記録。大杉久美子や水木一郎、子門真人、堀江美都子らと共に、アニメソングの黎明期を支えた。 1981年、現在の妻・上田みゆき (声優)|上田みゆきと結婚。互いに子連れでの再婚となり、そのときの苦労は1986年に出版された『子連れ再婚の片道切符』に描かれている。 1983年に劇場用アニメ作品『宇宙戦艦ヤマト 完結編』が公開され、関連楽曲を発表して以降は数年にわたり楽曲のリリースを一時休止し、俳優業やナレーター、洋画の吹き替えを中心に活動をシフトしていく。 1998年に約10年ぶりにアニメソングを歌唱し、同年ベストアルバム『佐々木功 シングルコレクション|佐々木功シングルコレクション '73〜'87』をリリース。以降、アニメソング歌手としての活動を本格的に再開する。2004年より定期的に行われているライブイベント「スーパー戦隊“魂”」では、公演座長を務めている。 以降も現在に至るまで俳優(声優)業、歌手業を並行して行い、2011年に「第5回声優アワード」において功労賞 を受賞、2015年には「東京アニメアワード|東京アニメアワード2015」において歌手としてアニメ功労賞 を受賞している。 2025年1月、東京都内で地下鉄に乗車中に一時意識を失い、自力で帰宅後に医師の診察を受けて間質性肺炎急性増悪と診断された。血中の酸素飽和度が50%台まで落ち、家族には「ステロイド剤が効かなければ死にます」と説明があったほどの重症だったものの、約1カ月の入院とその後のリハビリで復活を遂げ、4月27日に東京・Zepp Hanedaで行われるフェス「スーパーロボット魂2025東京〜stage terra〜」で復帰することを発表した。 ウィキペディア(Wikipedia) |